合気道開祖 植芝盛平翁 のお言葉

 

合気道の修行者は、普遍愛と合気の精神を充分に身魂に育成して、過去の魄の武道を土台にして、その上に魂の立て直しを行い真に魄の土台の上に魂の光を放つよう精進して欲しい。

 この体現には不屈不撓の態度を持って達成されんことを切望する。

 また、合気道の精神によって天地のすじ道を会得して大いに魂を浄めて争いのない心境にたち、この世を平和の御代となるよう、その大道において、合氣道を世界に普及発展するよう期待する。

 

 

合氣とは愛なり。天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。合氣とは自己に打ち克ち敵をして戦う心無からしむ、否、敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり、而して武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。」と合氣道の精神として謳っていますが、これだけで総てのものが言い尽くされているし、宗教としてこれ以上のものはないと思うのです。植芝盛平先生は「合氣道は武道であり宗教である」と云っておられるのです。最初の「合氣とは愛なり」の一言で断言しておられるのです。それはどう行うのか。

「天地の心を以って我が心とし」天地というのは、一つの神、我々を生かすためにすべてのものを与えている。
太陽の光、温かみ、空気、水、大地、総てを生かす為に無償に与えているのです。
その天地の心を知れと云うことです。万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂する。
天地の心が分かった時に万有愛護の心というものが分かる。総てのものは大きな力によって生かされている。
それが愛なのです。そして合氣は愛なりとなるのです。
「自己に打ち克つ」というのは自分の自己の欲望「相手を倒してやろう」という欲望に打ち克つということで
「敵をして戦う心無からしむ」とは相手と一体になることで、一体となった時に相手は争う心が無くなってしまう。
相手の争う心が無くなってしまうということは、敵そのものが無くなることであり、
絶対的自己完成の道となるのです。天地の心を以って自分自身の最高の状態を目指して修業するのです。
自己完成をどういう形で現わすか。

私達の動く形は天の理に適ったものでなければなりません。
天の理とは神の行う形なのです。この天の理を体に移して人間の最上の状態、霊肉一体の至上境を目指す、その為の修業であり道程なのです。これが合氣道の修業なのです。
 
天満道場では毎日毎日「合氣道の精神」を奉唱し稽古をしています。
「合氣は愛なり」を「どういう形で技に現わすか」ということで、人間が自然の理に適った動きを行った場合に、相手も自分も一体になった動きが出てくる。こちらが自然の理に適っていれば相手が敵対してきた場合は自滅するのです。